【国鉄時刻表】1964年9月 大阪駅上り 東海道本線北陸本線 JAPAN OSAKA station; TOKAIDO HOKURIKU LINE time table 1964

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 【時刻表の紹介】
    1964年9月ダイヤ改正後
    大阪駅上り方面 東海道本線 北陸本線(下り) 時刻表です。
    東海道本線が開通する直前、
    昼夜問わず優等列車が多数運転されていました。
    今では見ることができない、
    バリエーションに富んだ列車をお楽しみください。
    当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
    ↓チャンネル登録はこちら
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    お借りしたBGM
    フリーBGM DOVA-SYNDROME
    Painfulness /作曲:ハモおた 様
    「雪風」/作(編)曲 : のる 様
    「木漏れ日の歌」/作(編)曲 : すもち 様
    「旅立ちの季節に」/作(編)曲 : すもち 様
    ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
    #国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #北陸本線 #山陽本線 #大阪駅 #過去鉄

Комментарии • 122

  • @brilliantfirst211
    @brilliantfirst211 Год назад +6

    83歳の母親が昭和37年くらいに北海道へ行くときに大阪から特急白鳥へ乗って青森で青函連絡船に乗ったことを聞いたがたしか直江津で上野行きの白鳥と分離されたと聞いたことがある。当時は食堂車を利用するか各乗客へ聞きに来たらしい。
    さて生きてれば81歳だった親父は元プロボクサーで東京へ試合に行くときは急行なにわで東京へ行ったと話してた。話を聞いたのが俺がまだ小学生だった頃で当時の鉄道事情もあまり知らなかったがさすがに特急こだまがあったことくらいはわかっていたから何で特急を利用しなかったのかと聞いたら「マネージャーがケチッた」と聞いて悲しくなった思い出がある。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      食堂車利用の有無を聞きにきていたのですね。初めて知りました。特急とはいえ、かなりの長旅だったでしょうね。
      プロ選手であったとしても、特急になかなか乗ることができないくらい、当時の特急は特別なものであったことがわかるエピソードですね。グリーン車を利用する以上の特別さがあったのでしょうね。

  • @TheBikkuri
    @TheBikkuri Год назад +20

    1ヶ月後には、停車駅の多い「東海」「比叡」以外の東海道本線筋昼間急行はなくなってしまいます。比叡のエイの字は小学校2年の時は書いていたのに、大人になったら書けなくなっていた。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      新幹線開業により東海道本線の優等列車の顔ぶれは大きく変わってしまいましたね。
      子供の記憶力はすごいですね。私も似たような経験があります。

  • @H.S_hideaway
    @H.S_hideaway Год назад +2

    山陽本線下りも見てみたいです。昔、兵庫県川西市に住んでおりました。盆の帰省で尾道に帰る時に急行びんご(備後)に乗った記憶があります。懐かしいです。

  • @TSUYOS185
    @TSUYOS185 Год назад +8

    東京への特急や急行、そして西日本各地から京都へと向かう多くの列車が出ていたのですね。これに各駅停車や貨物列車が加わるのですから驚きです。本当にロマンのある世界ですね。この現場にいたら1日中でも見飽きないものです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      これから各地へ出発していく列車達と、各地からはるばる大阪までたどり着き、終点の京都までラストスパートの列車達。様々な列車の表情が楽しめるロマンある世界ですね。新快速の原型となるような快速電車にも乗ってみたいです。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +1

      @@tomoyankun さま
      新幹線の開通前は東京方面からは大阪を通り抜けて神戸へ、逆に山陽や九州方面へは京都発着と言うのが多かったのが意外でした。
      新幹線が出来ると接続重視になり、九州方面へは新大阪や大阪発着が増え、京都への直通がなくなったのも残念な話です。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      @TSUYO S さん
      私も同感です。神戸と京都発着の列車が多かったことが意外で、勉強になりました。
      接続重視であることは仰る通りですね。駅のホームに吊り下げられていた特急や急行の乗車位置の札の種類が、成長とともに減っていくのがさみしかったです。

  • @user-kj6vq4fr4g
    @user-kj6vq4fr4g Год назад +6

    そういえば、湖西線はまだ開業していなかったんですね。名古屋から中央線信越線両毛線直通があったとはびっくりです。夜は怒濤の寝台列車の連続ですね。眠らない国鉄だったんですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      湖西線は1974年ですから、関西地方からは米原が北陸への玄関口だった頃ですね。駅員さんも保線作業員さんも大変な時代だったでしょうね。

  • @あずみん-v4t
    @あずみん-v4t Год назад +4

    昔急行なにわで東京迄行きました。帰りは新幹線でした。大変おもしろいと思います。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      貴重な経験をしておられますね。
      在来線と新幹線の速度の違いを感じられたでしょうね。

  • @user-ij1vn6kk8k
    @user-ij1vn6kk8k Год назад +6

    ムーンライトながらの始祖と思われる、144列車がありますね。大阪発が14時55分とは驚きです。144Mになった後、大垣から一度利用しました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      144Mになった時は大垣駅20時32分発でしたね。東京には翌朝4時35分到着ですので結構早い時間に着く印象があります。

  • @yamayuki
    @yamayuki Год назад +8

    今の北陸新幹線のような列車が、特急白鳥として直江津経由上野行きとしてあったとはとても面白いですね。それにしても当時の大阪駅はいろいろな長距離列車が発着してすごく賑やかみたいです。特急よりも早い新快速の基となる列車があったりといかにも関西らしい時刻表ですね。UP、ありがとうございました!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      チワワのきんどーさんより大阪駅のリクエストをいただいておりましたので、作成させていただきました。大変お待たせしたにも関わらず、喜んでいただけて大変嬉しいです。
      大阪駅は、当時から大阪駅らしい時刻表で、作成していても、いつもより楽しかったです。私鉄と競争しながら発展してきたことがわかりますね。
      現在でも需要のある路線や列車については、当時からその原型となるものがあった事を毎回実感します。

    • @yamayuki
      @yamayuki Год назад +3

      @@tomoyankun さん
      お忙しいなか、わざわざありがとうございました。改めて拝見しますと、後のL特急の優等生と言われ30分に1本の間隔で大阪駅を出ていた「雷鳥」はまだなかったんですね。米原駅までの東海道本線のキャパシティもあり、湖西線が開通するまでのお預けですかね。こうしてみると新幹線も良いですが、知らなかった特急や急行列車がありとても勉強になります。これからもこのしシリーズを楽しみにお待ちしていますね。大阪駅版のUP、重ね重ね厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      大阪駅の顔の一つでもある「雷鳥」の名前がないことには私も驚きました。実は「雷鳥」はこのダイヤの1か月後である、1964年10月1日のダイヤ改正で設定されました。しかし運転開始は481系の完成が遅れたため、12月までずれ込んだようです。
      私も当時の時刻表をワクワクしながら読みつつ、楽しく勉強しながら動画を作成しております。こちらこそありがとうございます。
      これからもどうぞよろしくお願い致します。

  • @GLM17
    @GLM17 Год назад +4

    20:21 急行瀬戸 東京行
    20:25 急行あかつき 東京行
    何かスゲぇな、これ。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      夜行列車が立て続けに出発する様子は、今では考えられないですよね。

  • @r4renForever
    @r4renForever Год назад +6

    姫路発鳥羽行。。。
    山陽阪神近鉄もびっくり。。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      山陽、阪神、近鉄のルートで実現すれば是非乗ってみたいです。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      ​@@tomoyankun 以前「クラブツーリズム」(KNT→近鉄系旅行会社のメールオーダーツアー企画子会社)のツアーで、阪神神戸三宮~伊勢志摩を「しまかぜ」で行くツアーがあったそうですよ。

  • @075838
    @075838 Год назад +3

    特急白鳥は、青森行、上野行それぞれの編成に食堂車があり、大阪-直江津間は1編成に2両食堂車が営業していました。ちなみにそれぞれ7両編成で、大阪出発時点では14両編成という長大編成でした。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      特急かもめと同じように、それぞれの編成に食堂車があったのですね。7両編成の中に1両食堂車が存在しているというのも贅沢な話です。

  • @user-st1hi5fj2y
    @user-st1hi5fj2y Год назад +4

    この当時から野洲行って結構あったんですね、昔の野洲とか何もない田舎だっただろうなあ。鉄道の拠点でもあったんですね昔から。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の野洲市の人口は、現在の約半分の2万5千人でした。貨物の取り扱いはあったようですが、きっと周辺は今よりものどかな場所だったのでしょうね。

  • @user-fz4qk1mj2z
    @user-fz4qk1mj2z Год назад +1

    5:37分京都行き準急「ななうら」は、広島始発呉線経由の夜行客車準急(寝台車連結)で、後43・10改正で、夜行急行「音戸」に統合されました。

  • @sironeko0222
    @sironeko0222 Год назад +5

    この当時は湖西線がまだなかった頃と考えられます。
    列車名で始発駅がどこなのかなんとなく分かる気がしてきました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます
      湖西線開業は1974年ですので、まだ米原経由で北陸へ向かっていました。
      列車名で九州からはるばるやってきたことがわかりますね。現在の「〇〇3号」の方がわかりやすいですが、当時の列車名は旅情をかきたてる良い列車名ですよね。

  • @sinov6185
    @sinov6185 Год назад +1

    幼少の頃、父の仕事の都合で愛知県の尾張一宮駅の近くに住んでおりました。
    後に急行に格上げされた「比叡」に乗って父の実家があった大阪によく行きました。
    「比叡」は2往復ぐらい運行かと思っていましたが、8往復も走ってたんですね。
    それと、大阪から新潟方面行の普通列車が複数本走ってたんですね。
    漫画家の水島新司氏などは、こういう列車に乗って新潟から大阪に来たのかな。
    大学進学のために上京する時に急行「銀河」に乗ったのも思い出しました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      新幹線が存在しておらず、高速バスもなかった時代ですから、本当にバリエーション豊かな列車が存在していましたね。
      「銀河」の乗車経験がおありなのですね。いつか乗れるだろうと思っている内に廃止になってしまったことを今でも後悔しております。

  • @user-yd4nk1id5l
    @user-yd4nk1id5l Год назад

    1964年9月に父の転勤で急行阿蘇にて大垣へ🎵
    1ヶ月後再度転勤で青森県八戸市へ❗️
    当日は新大阪駅の街頭テレビで東京オリンピックの開会式を見ていました🙂

  • @479santa61
    @479santa61 Год назад +1

    1972年7月に大阪~東京迄、急行銀河2号、B寝台上段利用で乗ったことがありました。大阪発、22:30だったと思います。殆ど眠れませんでしたが、横になっていられるだけで、ハイウェイバスドリーム号よりかは遥かにラクでした。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      今となれば貴重なご経験をしておられますね。やはりどれだけ快適な座席になろうとも、完全に横になれる寝台に勝るものはないかなと思います。

  • @Oulusalo1
    @Oulusalo1 Год назад +2

    どれも楽しく拝見してます。天王寺発の阪和、紀勢線をリクエストさせて頂きたいです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の時刻表には阪和線が本当にごく一部しか掲載されていないのですが、「直行」という珍しい種別が存在するなど、当時から阪和線独特の運転体系がうかがえる時刻表になっております。大変ありがたいことに、リクエストの数が増えておりますため、大変お待たせするかと思いますが作成させていただきます。リクエストありがとうございます。

  • @Cypher-stm
    @Cypher-stm Год назад +8

    この時代から京阪神緩行線には普通が20分間隔であったから利便性で言えばスカ線が15分ヘッドで走る東京近郊の東海道線と大差無かった感じか、京浜東北線含めば東京が圧倒的だが
    そして夜行急行が旅立った後の深夜に大阪にやってくる寝台特急、時刻表で見ても貫禄が違う

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      京阪神エリアは、私鉄との競争があったため、当時から利便性については考慮されていたことが感じ取れますよね。
      寝台特急の貫禄、私も同感です。深夜に遠方から何本も続けてやってくる寝台特急。やはり寝台特急は心が躍るような特別感がありました。

  • @user-rh3bx2dc1o
    @user-rh3bx2dc1o Год назад +2

    新幹線開業1か月前、この当時の大阪駅のダイヤは優等列車のオンパレード、大半が東京行きの列車が多くその名称の列車を見たら、関西から九州方面への夜行列車に転身したものもあり、おやと思わす、普通はおそらく今の快速でこのころから113系が走り出し、80系と交互に運用されてたと思う、今では無いがグリーン車(当時は1等車)も連結されてた記憶があります。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      夜行列車や、後の「快速」など、バリエーション豊かでにぎやかな時刻表で飽きないですね。もし山陽新幹線がなかったら、新大阪発から九州、四国への優等列車がたくさん運行されていたのでしょうね。

    • @user-rh3bx2dc1o
      @user-rh3bx2dc1o Год назад +1

      返信頂き有難うございます、私的に一番よく利用してたのは21:20発の急行「銀河」客車や寝台車になっても利用してました。出来ればウエストエクスプレス銀河を東京まで運行して欲しい、117系はJR東海管内でも運行してたし、JR東日本管内では185系と同類なので運行は可能と思うので。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ウエストエクスプレス銀河の運行範囲を広げるのも面白いですね。実現は大変だと思いますが、鉄道各社を跨いだクルーズトレインがあれば是非乗ってみたいです。

    • @user-rh3bx2dc1o
      @user-rh3bx2dc1o Год назад +1

      コロナ過で鉄道利用が減ってるので、JR各社は意地を張らず、互いに協力しあって日本を明るくするという趣旨の元イベント列車を走らせてほしいですね。

  • @baatarismbaatarism9209
    @baatarismbaatarism9209 Год назад +2

    時々、普通と特急・急行の同時発車がありますが、方向別複々線を活用していたのでしょうね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      同時発車をして、どこまで併走していたのか気になりますね。
      優等列車を抜かす新快速に一度乗ってみたいです。

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 Год назад +3

    22:00 銀河は高速バスのドリーム号の台頭を受けながらも、出張族を中心にそれなりに人気を博していたが、21世紀に入ると、高速バスに抗しきれなくなり2008年に運行終了となった。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      コメントありがとうございます。
      JR発足当時は約8割の乗車率を誇っていましたが、約20年後の2007年には約4割まで乗車率が減ってしまったようですね。完全に横になって移動できる利点はありましたが、高速バスの安さには対抗できなかったことがわかりますね。

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 Год назад +9

    18:39 今から10年ほど前までは、大阪と青森間は列車一本で行けるのが当たり前だったが、今や、新潟に行くのさえも、必ず乗り継ぎしなければならない。時代に逆行しているかのよう。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      コメントありがとうございます。
      長距離は「新幹線」、短距離~中距離は「在来線」というように、すみわけされてしまいましたね。鉄道旅を趣味とする人にとっては、以前よりも魅力が少なくなった側面はありますね。

  • @user-yf6ek4qk5l
    @user-yf6ek4qk5l Год назад +3

    👨‍👩‍👦家族で大阪⇔名古屋の日帰り旅行をした事がある。大阪⇨名古屋は[比叡]、名古屋⇨大阪は[伊吹]だった(子供の頃)

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の思い出をコメントしていただきありがとうございます。
      往路は10時ごろに着き、観光をした後18時ごろに復路という流れですね。晩御飯を食べてから乗車するのは少し早い気がしますので、車内で夕食を召し上がったのでしょうね。

  • @user-co9ft8py3c
    @user-co9ft8py3c Год назад +1

    こんにちは。列車番号が入りましたね。2M 2D 2列車が共存している事が興味深いです。修学旅行列車が定期列車番号だったのは初めて知りました。毎日運転していたのでしょうか?

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      列車番号も載せて頂きたいとのご希望がありましたので、列車番号を追加致しました。列車番号があると、列車の性質もわかりますので面白いですね。
      修学旅行列車はシーズン中は毎日12両編成で運転していたようです。ただ、実際にどの期間がシーズンにあたるのかについては、残念ながら私も情報をもっておらず、わかりかねるところです。実際の運用について大変気になりますね。

  • @houseyfk
    @houseyfk Год назад +5

    スーツ氏なら、狂喜乱舞しそうですね!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の列車の魅力を楽しく伝えていただけそうですね。

  • @user-uv3mp7nq2m
    @user-uv3mp7nq2m Год назад +3

    安土行きが何本かあるのが、面白いですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      現在は見ることができないレアな行き先があるのが昔の時刻表の面白いところですね。
      今では早朝に安土駅始発の列車がわずかに残るだけになってしまいましたね。

  • @user-ev9uz4qx4f
    @user-ev9uz4qx4f Год назад +1

    東京行きの夜行列車(特急・急行・更に普通)が多く運転されており、「この時代が羨ましい」ですが(ちなみに私はこの年の11月生まれです)、当時既に東京口では朝の通勤ラッシュの混雑はかなりのものとなったいたと聞いています。そのせいか東京8:00~9:00は夜行列車の到着がありません。この時間帯に夜行列車を到着させることができない制約は当時のダイヤ作成は苦労したものと想像できます。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      時刻表だけを眺めていると、列車のバリエーションが大変多くて楽しそうですが、実際は大変な事も多かったようですね。上りの8時~9時には夜行列車の到着がないのは、やはり通勤ラッシュの混雑がひどかったからなのですね。あらためて時刻表を見てみると、運転停車も行いながら、なんとか時間調整をしていたことが伝わってきます。

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +5

    明星、彗星、金星、あかつき、月光
    当時は夜行急行東京行きだった
    その後全て寝台特急に格上げ
    名古屋、新大阪~九州各地に躍動した
    明星、あかつきは一時は1日7往復と大所帯を誇った
    東京始発のブルートレイン軍団の陰に隠れた存在たが役割は東京始発に負けてはいなかった

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      今では考えられないくらいの夜行列車の数です。山陽新幹線の博多開業までは、きっとそれらの夜行列車も利用されていたのでしょうね。最近は汽笛の音が聞こえることが大変少なくなり、さみしくなりましたね。

  • @alooga555
    @alooga555 Год назад +1

    比叡2号、大垣停車後の到着時刻がおかしくありませんか?

  • @exposegel
    @exposegel Год назад +5

    6時42分発 普通 新津行とか出てきて驚きました by新潟市民

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      私も時刻表を見て、普通列車で乗り換えなく新津まで行けることに大変驚きました。需要があったということなのでしょうね。

    • @けん-o4y
      @けん-o4y Год назад +1

      その日(厳密には日付は変わっているがw)のうちに着けるのにまたビックリ>普通新津行

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      夜にも新潟行きの夜行普通列車が2本も走ることにもビックリですね。

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o Год назад +2

    東京駅編と同じ鉄ピの記事から。
    サンロクトウ改正で、伊吹が2本、比叡が8本。伊吹の下り第1と上り第2伊吹は急行「なにわ」と同じで、1等車サロ152形2両、ビュフェ車サハシ153形2両の急行編成で、全車指定席だから大サービス。比叡号8本も、1963年10月から[大ミハ]受持だったので、大阪方にクハ165+モハ164の500番代の2両を増結。12両編成で名阪間を疾走した。余程人気があったと思います。
    大阪発の比叡4、5、6、7、第2伊吹、比叡8は、15、16、17、18、19、20時のゼロ分の発車、当時としては、思い切ったダイヤでした。
    1964年10月ダイヤでは、新幹線開業で、伊吹は廃止。比叡は8本残り、下り比叡7号と上り比叡1号は名古屋〜神戸間運転になった。
    新幹線はひかりとこだまが1時間に各1本運転で、大津、石山、草津、近江八幡、彦根、大垣、岐阜、尾張一宮と新幹線の恩恵を被らない駅利用者が多かったから。
    その後は衰微の道を辿った。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      また、大変貴重な情報をわかりやすくまとめて記載していただきありがとうございます。
      ゼロ分の発車に持ってくるということは、それほど力を注いでいた列車ということになりますね。当時のダイヤ作成者の意気込みが伝わってきます。
      新幹線開業後も新幹線の恩恵を被らない駅利用者の利便性を考えて設定され続けたという視点は思いつきませんでした。しかし、利用者は想定以上に存在しなかったのかもしれませんね。

  • @user-fe9kg8ju9w
    @user-fe9kg8ju9w Год назад +1

    大阪駅も24時間営業だったのか。急行きたぐにが昼行列車だったってことに驚いてる。583系の前は客車列車で北陸トンネル火災事故の列車だったってことは知ってたけど。
    寝台特急日本海って新潟に乗り入れてたんだね。新潟駅経由で東北方面に行くにはスイッチバック不可避だからJR化直前の国鉄末期にはかなり減りJR化後はほぼ消滅(新津から直接羽越線に直通)したけど

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通りで、私もきたぐには夜行列車のイメージが大変強いです。『きたぐに』『日本海』ともに廃止前に乗っておきたかった列車です。

  • @user-bj4xm1rm4l
    @user-bj4xm1rm4l 10 месяцев назад

    大阪発(18:11発)→東海道本線→中央本線→信越本線→両毛線→東北本線→日光線→日光行(翌15:18着)とかもはやミステリートレインだな

  • @uka_blues
    @uka_blues Год назад +4

    青森行き白鳥と上野行き信越白鳥。
    青森編成は大阪鉄道管理局向日町運転所受持ち、上野編成は東京鉄道管理局尾久客車区受持ち。
    当時の東京は、西南北に鉄道管理局が分かれておらず、東京鉄道管理局でした。
    また、キシとキロは青森編成と上野編成それぞれに連結。
    食堂車は青森編成・上野編成共に、同じ日本食堂が担当でしたが、青森編成と上野編成では担当列車食堂営業所が異なっていた為、大阪↔直江津の併結区間では、互いに味とサービスを競い合ったと云われています。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      管理局が違う編成が併結していること、味とサービスを競い合うお話が大変面白いですね。
      検索して調べてみますと、長時間の乗車になるため、昼は青森編成、夜は上野編成の食堂で食事をとるようなこともあったようですね。食堂車すらない現在ですので、食堂車をハシゴできることは大変贅沢な話です。

  • @来日ピスタチオ
    @来日ピスタチオ Год назад +4

    本数多いね...
    当時から私鉄とバトルしてたんだなぁって

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      これに各駅停車が加わるわけですので、本数は当時から多かったと思います。
      私鉄とのバトルは長期間にわたって繰り広げられてきたことがわかりますね。

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 Год назад +1

    22:17 ちくまは今から約35~6年前、高校生の頃乗りました。乗った当時はそこそこ客がいたので、この時点ではまさか消えるとは思ってもみなかった。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      コメントありがとうございます。
      当時は人気のあった列車も、夜行バスなどのライバルに押されてどんどん廃止になってしまいましたね。今となれば。「なぜあの時乗らなかったのだろう」と後悔する列車ばかりです。

  • @yn-ir6lx
    @yn-ir6lx Год назад +3

    普通新津行きすごいなあ

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      今では考えられない行き先ですね。

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +2

    東海道新幹線開業で大阪のターミナルは新大阪に変わった
    大阪始発は北陸方面の雷鳥(サンダーバード)と山陰方面のまつかぜ、はまかぜぐらいになった
    新大阪始発だと新幹線連絡で行けるから利便性がいい
    九州山陽路を躍動した在来線特急急行は新幹線博多開業に伴って勢力が減退していた
    その後寝台特急はサンライズ(出雲、瀬戸)のみになっていった
    時代は旅の風情よりスピードを求めているが旅好きな人は風情を楽しみたいと思う

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      新幹線の開業により、徐々に大阪駅にやってくる優等列車は減少し、運転区間も短縮していきましたね。いつか北陸新幹線が新大阪まで開業すると、ますます優等列車は姿を消してしまうのでしょうね。
      経営が成り立ちながらも、風情を楽しみながら列車旅ができる、そんな列車が今でも存在していれば理想ですね。

  • @toshifuku6609
    @toshifuku6609 Год назад +3

    大阪から東京は当たり前としても上野って びっくりですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      西日本で見る「上野ゆき」の違和感がすごいですよね。

  • @334代ニコラエチャウシェスクルーマニア

    今とほとんど所要時間変わらないのがすごいな
    64年とか暗黒時代のイメージしかないのに

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      車両や設備に限りがある中、最大限努力していたことが時刻表から読み取れますね。

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o Год назад +2

    深夜帯(午前2時から4時台に停車していた「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」「みずほ」の寝台特急なんか乗る人が居たのかなと思います。大阪鉄道管理局は寝台特急列車が非有効時間帯に大阪駅を通過するダイヤに激怒して、「北方貨物線経由にしろ」と発言したとか。
    国鉄ストが盛んな時期、博多行のあさかぜが23時頃に名古屋駅に着くのですが、「明日から国鉄スト。怒号の中、あさかぜ発車」の新聞見出し。駅で国労、動労の組合員が動員されて、当局側の非組合員乗務員に罵声を浴びせる場面が、新聞に掲載されてました。
    国鉄も昭和45年頃から沿線の大きな駅でも、非有効時間帯は客扱いしなくなりました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      大阪鉄道管理局は新快速の0分発車の件が有名ですが、そのようなこともあったのですね。国鉄本社への意識の持ち方を感じ取れる発言ですね。
      徐々に効率化が進む中で、非有効時間帯に客扱いしなくなったということは、当時から利用客自体はそこまで多くなかったのかなと推測できますね。

  • @Youyou0414
    @Youyou0414 Год назад +3

    9時3分発京都行き普通の発駅わかりますか?

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      9時3分発の(946レ)ですね。始発駅は上郡で、6時18分発でした。

  • @user-yy7yj7kk3b
    @user-yy7yj7kk3b Год назад +1

    11:15 急行よどって、淀川のよどですよね。自分はどうしても四国の予土のよどをイメージしてしまいます。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通り、関西と関係のある名称が使用されていましたので「淀川」が由来のはずです。私は育ちの関係上「淀川」の方が馴染みがありますが、確かに、「予土」もありますね。

  • @user-sh8rz7gi9k
    @user-sh8rz7gi9k Год назад

    7時台の普通列車が 7:27, 7:42, 7:57 ってみんなどうやって仕事行ってたんだこの時代の人

  • @madicade22
    @madicade22 Год назад

    第一こだまのワードが激熱。東海道線が真の特急街道だった最期の時間

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o Год назад +2

    神戸〜名古屋間の「伊吹」と名古屋〜東京の「新東海」は全車指定制の準急行列車だったが、「新東海」は名古屋〜東京間の特急「おおとり」に出世した。
    新津行の普通は17時間52分も走っている。
    8時07分の鳥羽行は「参宮快速」ですかね。
    特急「白鳥」は上野編成と青森編成が分離される前ですね。1965年3月改正で、金沢〜上野間の特急「はくたか」に分離された。
    14時55分発東京行144レは、大垣夜行の原形ですね。14時間も走っている。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      どの列車も魅力的で、乗車して、カメラにも収めたいなと思います。「白鳥」は青森駅でのパートナーを「青函連絡船」や「急行はまなす」としながら、北海道への連絡の役目を最後まで果たしていましたね。一度大阪から青森まで乗り通したかったです。

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 Год назад +1

    4:13 特急 白鳥の上野ゆき は、いずれ、北陸新幹線の新大阪~東京 間となって「復活」する予定。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      復活予定なのですね。「白鳥」という愛称には特別な想いを持つ方も多いと思いますので、復活すると喜ぶ人も多いでしょうね。

  • @tkrgt7749
    @tkrgt7749 Год назад +1

    確かこの時って急行線と緩行線の所有が別れてた頃だっけ。
    その数年後には新快速という化け物快速が誕生するわけか

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通りで国鉄本社と大阪鉄道管理局で管轄がわかれておりました。
      特急の出発時間すらもずらしてしまう「新快速」が登場するのは6年後の1970年ですね。「新快速」が京阪神間の移動に大きな影響を与えるとは、当時の担当者は思わなかったかもしれませんね。

  • @user-jh5if2gp6k
    @user-jh5if2gp6k Год назад +1

    急行六甲で東京行きました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      「六甲」という名称が関東で聞けることが今では考えられないですね。

  • @shigeomatsuo
    @shigeomatsuo Год назад +1

    1964年当時は列車線 ・電車線で運転系統が分かれていた

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      優等列車と快速の競争を実際に見てみたかったです。

    • @shigeomatsuo
      @shigeomatsuo Год назад +1

      現在は貨物列車・快速・新快速・特急列車外側線と普通・快速線混合運転内側線混合みたいのようだね。

  • @user-mg5kx9pv2y
    @user-mg5kx9pv2y Год назад +2

    普通東京行、乗りたい(笑)!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      一度乗り通してみたいですよね。途中の駅で駅弁も買いながら、のんびり移動してみたいです。

  • @user-er4uw7pg1o
    @user-er4uw7pg1o Год назад

    近鉄特急の盛況ぶりを見ると、一日数本でも“比叡”を復活させたら…と思いますが、どうでしょう?JRからは急行や準急が消滅しているので価格競争で話にならないかもしれませんが、大阪・新大阪・高槻・京都・大津・草津・近江八幡・彦根・米原・大垣・岐阜・尾張一宮・名古屋の停車パターン。

  • @けん-o4y
    @けん-o4y Год назад +2

    東京行電車急行の愛称が「なにわ」「せっつ」「いこま」等関西由来のものだけなのが少し残念だな。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      確かに仰る通りで、東京を連想させる列車名はないような気がします。東京が起点となり、各地へ向かうイメージなのでしょうか。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад +2

      @@tomoyankun さん
      当時東海道線の急行に使用されていた153系が宮原電車区所属だった事と関係があるのではないでしょうか?

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      宮原電車区所属だったのですね。全く知りませんでした。そういった事も関係していそうですね。
      情報ありがとうございます。

  • @jimmy-qu7tj
    @jimmy-qu7tj Год назад

    そうか下二桁目が1の列車番号も急行になったのは4310からなんだな^^;
    準急の急行格上げで急行が増えてしまったのが原因なんだろうか? 多分4310以降5310までが急行の全盛期かと思う。
    あと、急行越後って元は急行きたぐにだったんだw
    (457系で昼行急行の青森行ききたぐに(=4310以降の立山1号の延伸で)を仮想したことがあるんでw)

    • @jimmy-qu7tj
      @jimmy-qu7tj Год назад

      驚いたのは当時の時刻表に駅のみどりの窓口表記がなかった事w
      (交通公社1967年10月版には表記なし、代わりに「電報」が打てる駅表示があったw)

  • @keishimomma258
    @keishimomma258 18 дней назад

    急行「だいせん2号」で益田から大阪までを乗り通した経験があるものとしては、
    夜行「だいせん」との共存こそが当たり前や、て言いたなるねんなあーw

  • @nattousenbei
    @nattousenbei Год назад +1

    快速速すぎてワロタ

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      さすが新快速の走る路線という感じがします。当時からその片鱗がありましたね。

  • @ybb-papa
    @ybb-papa Год назад +1

    いきなり「普通 新津」に絶句。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      今ではあり得ない行き先ですね。一度乗車してみたかったです。

  • @lupinxyz2
    @lupinxyz2 Год назад +1

    各駅停車の性能だけ高い? 大阪から京都まで36分って 現代だと50分くらいかかってると思うけどw

    • @user-id9wf9lf9y
      @user-id9wf9lf9y 11 месяцев назад +2

      おそらくここでの普通と書かれている列車は、現在の新快速に近くて、現在の各駅停車(当時の国電)については、そもそも時刻表から省略されているものと思われます。